僧侶(お坊さん)は実際つらいの?体験談をもとにランキングで紹介

「お坊さんの修行って実際つらいの?」
「修行以外でつらいことって何?」など、疑問に感じている方も多いでしょう。
本記事では、僧侶として14年間経験した元僧侶の私が、つらい・大変と感じたことをランキング形式で紹介します。
所属する宗派やお寺によってつらさは異なるため、あくまで私が経験した内容をもとにまとめています。
つらいと感じたランキング以外に「僧侶になって良かったこと」も紹介しているので、ぜひ最後までご覧ください。
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目次
僧侶のつらいこと・大変なことランキング
私が僧侶として活動していた頃、つらいと感じたこと・大変だったことをランキング形式で紹介します。
正直、つらいと感じたこと・大変だったことを挙げればキリがないのですが、5位までに厳選したので、ぜひご覧ください。
1位.修行生活の厳しさ
僧侶の生活で1番つらいと感じたのは、修行の厳しさです。
修行の厳しさは、所属する宗派やお寺などの規則によって異なりますが、私が所属していた宗派・お寺はどうやらトップクラスで厳しい環境だったようです。
高校に入学したばかりの当時15歳の私は、親元を離れた場所で寮生活を送ることになり、家族との連絡を途絶えさせるために携帯を預けました。
また、趣味のゲームは当然できず、テレビやラジオなども禁止されていました。
つらいと感じても悩みを相談する手段もなく、体力的・精神的にしんどい日々が続きます。
とくに私がつらいと感じたのは、お堂の雑巾掛けです。
「たかが雑巾掛け」と思われるかも知れませんが、お寺の世界の雑巾掛けは独特で、後ろに下がりながら行います。
もちろん途中で膝をつけたり止まったりしたら最初からやり直しになり、吹き残しがあっても指導対象です。
ちなみに正座は、ノンストップで連続3時間が最長の正座時間でしたが、正座の痛さで毎日のように泣いていたのが本音です。
2位.繁忙期の忙しさ
僧侶の修行生活を終えた後もつらい日々が続いており、繁忙期の忙しさはつらい要素でした。
繁忙期が忙しくてつらいと感じるのは、どの仕事にも共通して言える話ですが、僧侶の世界では睡眠時間を削る日もあります。
とくに年末年始は除夜の鐘の受け入れ対応をし、流れで家内安全や交通安全などの祈願(祈祷)を実施します。
私が僧侶として働いていた頃、最も忙しかったスケジュールを例にまとめてみました。
- ・12月31日夕方:日中の業務終了後、除夜の鐘の準備
- ・12月31日夜間:除夜の鐘の対応並びに祈願準備
- ・1月1日の0時:新春初祈願
- ・1月1日の1時:順次祈願の対応
- ・1月1日夕方:業務終了並びに翌日の準備(約2時間)
上記のとおり、12月31日の朝から1月1日の夜にかけては、ほぼ休憩なしで稼働していたのです。
個人事業主のフリーランスWebライターとして働く今、就業時間に関係なく稼働していますが、休憩時間なしで丸1日以上稼働するのはきついと感じました。
3位.寺院や僧階などの格差がある
僧侶の世界は階層が明確になっている分、上下関係の厳しさもあります。
お寺には「等級」と呼ばれる階級と、僧侶の階層を示す「僧階」があるため、年齢とは別の上下関係があるのです。
等級とはお寺の格式、敷地面積、檀家数などを総合的に数字で示した階級で、数字が少ないほど等級が高いお寺になります。
また僧階は着られる法衣の色合いも異なるため、僧侶として働いた年数や実績の差が明確になってしまうのです。
とくに父親が僧侶で、その子どもも僧侶の場合「〇〇君のお父さんは僧階が上だから」と、暗黙の了解で評価されるケースがあるのも実情です。
つまり私のようにお寺の生まれではない者が僧侶になった場合、格差社会と上下関係の「見えない圧」があるのも、きついと感じる要素でした。
4位.雇われの身では収入に限界がある
「坊主丸儲け」とよく言いますが、私のように雇われの身では収入に限界があるのも、きついと感じる要素です。
例えばお盆やお彼岸、葬儀などで担当する僧侶に「お布施」として多額のお金を渡していても、すべて担当した僧侶の懐に入るわけではないのです。
実際に私が働いていたお寺では、すべてのお布施をお寺に納めていました。
※お布施の何%かは実質インセンティブとして支給されるお寺もある
2025年6月時点のindeedによる僧侶の年収を見ると、約407万円と記載されています。
しかし雇われの身だった私の年収は、300万円以下でした。
「外車に乗っているお坊さんをよく見かける」と耳にしたこともありますが、裏を返せば会社を所持している僧侶は僧階が高い僧侶であると言えるのです。
5位.周りからの目が気になることが多い
僧侶で生活しているなかでつらいと感じるポイントは、外出時の周りからの目線も含まれていました。
お寺の生まれではない私に限定されるかも知れませんが、僧侶として働いていた頃、僧侶以外の方からの発言で悩まされる経験があったのです。
「お坊さんってお酒飲んでも良いの?」
「お坊さんって恋愛しても良いの?」
上記は多くの方が疑問に感じるポイントかと思いますが、結論は問題ありません。
しかし私は出向いた交流会の参加者が原因なのか「お坊さんなのに〇〇」といった発言をされることが多かったのが実情です。
「お坊さんなのに洋服着るんですね」「お坊さんなのに夜、出かけるんですね」など言われ、どこか僧侶としか評価されていない気持ちになったのです。
私自身、どこにいても「僧侶である私」の看板を背負い続けるプレッシャーが、つらいと感じる要素の1つでした。
僧侶になって良かったと感じていること
僧侶生活はつらいと感じる日々でしたが、良かったと感じることも当然あります。
- ・専門的な場所で専門的な学びと経験が得られる
- ・打たれ弱い自分を脱却できた
- ・「誰かのために」と思える心の余裕を持てた
上記は僧侶になって良かったことを3つに厳選した内容です。
「お坊さんの話は心がホッとする」と感じた経験がある方は、僧侶が学び・経験した仏教に則った教えの1つです。
言わば仏教は「人の心を動かす教えの集大成」であると私は捉えており、一種のアンガーマネジメントも兼ねられる結果になりました。
また、つらいと感じる修行の経験も、自分の精神力を鍛える経験になったため、落ち込むような発言をされても「あの頃よりつらくない」と切り替えられるのです。
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まとめ
本記事では僧侶の経験が約14年間ある私が、僧侶で生活していたなかでつらいと感じたことをランキング形式で紹介しました。
当時と今とでは時代の流れとして、つらさが異なる可能性はありますが、僧侶の修行は日常生活を送るなかでは経験できないことに溢れています。
正直、今の年齢と体力で当時の修行をできるとは思いませんし、やろうとも思えないものの「良い経験」と素直に感じています。
お寺によっては「修行体験」を実施しているので、あえてつらい修行を経験したい方は、精神修行の一環として試してみてはいかがでしょうか。
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